2008年03月20日
確定申告のあとで…。
ずーっと雑用所用をこなしているうち早くもひと月更新出来ずにおりスミマセン。
またひとつ、齢を重ねてしまいました。
…私が物心つく頃の、昭和元禄な世の中に興味があります。
音楽も、クルマも、そしてカーモデルも。
当時の雑誌等を観ていて、その時代の雰囲気に憧れます。
また、その頃の花形レーサーとして、故福澤幸雄氏の後追いファンでして、数年前から少しずつ研究しております。
60年代のサーキットヒーローといえば生沢徹氏が第一人者ではありますが、
氏の活躍の陰で早世・夭折した人に、より興味をもっております。
サチオのON(マシン上)/OFF(デザイナー/モデル・芸能活動)における表情の違いがまた魅力だったりします。
今で言うところの「イケメン」の元祖的な人でした。
現在でも存命だったならば、最高にイカした素晴らしい紳士であった事でしょう。
月曜(3/17)は日頃お世話になっている友人氏と税務署で確定申告へ行ってきました。
例年同様、最終日は結構込んでいました。

諸所用が早めに終わったので、友人氏のゴチで鵠沼の三笠会館なるところで
私のガラにもなく高級ランチを御伴させて頂いた後、
私がサチオファンであることの話をしているうち、
私が「せっかく藤沢に住んでいるのだから、一度は嘗て彼の住んでいた場所(鎌倉市某所)を訪ねてみたい」、と言ったら、友人氏が
乗り気になってくれて、私が当時の雑誌で覚えていた番地をカーナビにセットして出掛けてみました。
…カーナビの終点あたりでクルマを停め、そこから先は徒歩で
それらしき跡地を探してみました。
あの辺りは閑静な住宅地で、特別な選ばれた人しか住めないような感がありました。
迷路のような住宅道路が多く、一つ間違えてもう一度出発点に戻った後、近くに住居案内板を発見し、改めて探索してみました。
該当する番地あたりに、やや広めのそれらしき空き地を見付けました。

その土地は石段を上がったところが更地になっていて、
何かの基礎だけ数年前に着工されたままのような状態でした。

偶々少し時間が出来たから訪れてみた訳で、特別準備していた訳ではなく、
果たして、ここで合っているかどうかは今ひとつ不明だった訳ですが、
近くの山あいの風景・ロケーションはきっと同じと確信し、
こういうところに住んでいたんだ、と肌で感じることが出来たわけです。
そのあとは、「サチオが亡くなった当時は富士霊園にあったお墓が、
ネットで調べたら、現在は鎌倉霊園へ移された、となってるんです」と
私が話したら、友人氏がまたまた乗ってくれて、その足で鎌倉霊園まで行ってみる事と相成りました。

…まあ広い広い、とてもじゃないけど見付けられたものではありません。
でもきっと良い場所にあるだろうということで、見晴らしの良い処へ登ってみました。
私のような一見さんが図々しくも管理事務所に墓番地を尋ねるのも
ナンだか憚られたので、サチオが眠る場所に来られて、そこからの眺めを見られただけでも満足なのでした。

それにしても、見ず知らずの私のような者が、こんな真似して良いのかな、
サチオと一緒に眠る御両親に訝られてしまうのではないかな、と
友人氏に訊いたら氏いわく、
「人間って、一番ツライのが、『忘れ去られてしまうこと』なんです。
だから、こうして想ってもらえることは、本人は喜んでいると思いますよ。」
…! 嗚呼、そうだ、確かにそうだ。
今を生きている我々とて、誰からも忘れ去られてしまうのは寂しいものですから。
…それにしても、墓地の小高い丘の上まで登ると、普段運動不足な身体にはチョットした
アスレチックになりましたよ。


またひとつ、齢を重ねてしまいました。
…私が物心つく頃の、昭和元禄な世の中に興味があります。
音楽も、クルマも、そしてカーモデルも。
当時の雑誌等を観ていて、その時代の雰囲気に憧れます。
また、その頃の花形レーサーとして、故福澤幸雄氏の後追いファンでして、数年前から少しずつ研究しております。
60年代のサーキットヒーローといえば生沢徹氏が第一人者ではありますが、
氏の活躍の陰で早世・夭折した人に、より興味をもっております。
サチオのON(マシン上)/OFF(デザイナー/モデル・芸能活動)における表情の違いがまた魅力だったりします。
今で言うところの「イケメン」の元祖的な人でした。
現在でも存命だったならば、最高にイカした素晴らしい紳士であった事でしょう。
月曜(3/17)は日頃お世話になっている友人氏と税務署で確定申告へ行ってきました。
例年同様、最終日は結構込んでいました。

諸所用が早めに終わったので、友人氏のゴチで鵠沼の三笠会館なるところで
私のガラにもなく高級ランチを御伴させて頂いた後、
私がサチオファンであることの話をしているうち、
私が「せっかく藤沢に住んでいるのだから、一度は嘗て彼の住んでいた場所(鎌倉市某所)を訪ねてみたい」、と言ったら、友人氏が
乗り気になってくれて、私が当時の雑誌で覚えていた番地をカーナビにセットして出掛けてみました。
…カーナビの終点あたりでクルマを停め、そこから先は徒歩で
それらしき跡地を探してみました。
あの辺りは閑静な住宅地で、特別な選ばれた人しか住めないような感がありました。
迷路のような住宅道路が多く、一つ間違えてもう一度出発点に戻った後、近くに住居案内板を発見し、改めて探索してみました。
該当する番地あたりに、やや広めのそれらしき空き地を見付けました。

その土地は石段を上がったところが更地になっていて、
何かの基礎だけ数年前に着工されたままのような状態でした。

偶々少し時間が出来たから訪れてみた訳で、特別準備していた訳ではなく、
果たして、ここで合っているかどうかは今ひとつ不明だった訳ですが、
近くの山あいの風景・ロケーションはきっと同じと確信し、
こういうところに住んでいたんだ、と肌で感じることが出来たわけです。
そのあとは、「サチオが亡くなった当時は富士霊園にあったお墓が、
ネットで調べたら、現在は鎌倉霊園へ移された、となってるんです」と
私が話したら、友人氏がまたまた乗ってくれて、その足で鎌倉霊園まで行ってみる事と相成りました。

…まあ広い広い、とてもじゃないけど見付けられたものではありません。
でもきっと良い場所にあるだろうということで、見晴らしの良い処へ登ってみました。
私のような一見さんが図々しくも管理事務所に墓番地を尋ねるのも
ナンだか憚られたので、サチオが眠る場所に来られて、そこからの眺めを見られただけでも満足なのでした。

それにしても、見ず知らずの私のような者が、こんな真似して良いのかな、
サチオと一緒に眠る御両親に訝られてしまうのではないかな、と
友人氏に訊いたら氏いわく、
「人間って、一番ツライのが、『忘れ去られてしまうこと』なんです。
だから、こうして想ってもらえることは、本人は喜んでいると思いますよ。」
…! 嗚呼、そうだ、確かにそうだ。
今を生きている我々とて、誰からも忘れ去られてしまうのは寂しいものですから。
…それにしても、墓地の小高い丘の上まで登ると、普段運動不足な身体にはチョットした
アスレチックになりましたよ。


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