2007年11月17日
キザ男とオネンとGTO。
バンダイ1/20 コルトギャランGTO-MRです。
実車は"Hip Up Coupe"のキャッチフレーズで1970年10月発表、DOHC・ツインカム125馬力サターンAIIIエンジン搭載、最高速度200km/h。
実車のMRにおいて、決めカラーはケニアオレンジが王道でしょうが、
バンダイ版初版の成型色は微妙に朱色掛かったものと、青色の2種類がありました。
ワイルド且つドラマチックな構図のボックスアートが印象的。初版当時定価\800-。


カタログの世界観をそのまま表現している箱絵に対して、
肝心のボディはリアクオーター辺りからの再現にスマートさが欠けていて
やや難があるように思えます。
それでも1/20クーペシリーズ中唯一、フューエルリッド開閉というギミックに果敢にトライした作りとなっています。

1973年、世間はオイルショックによる様々な騒動が起きていた頃、ワタシは小学三年生でした。当時の子どもたちにとってはそのようなオトナ的事情は特に判る程でもなく、今思い起こしても何かと楽しかった想い出ばかりの年でした。あの頃は一生に一度あるかどうかというぐらい、妙に『モテ期』で、クラスの女子からは毎日のように「sakachew君、今日アタシんちに遊びに来ない?」と頻繁に誘われていましたし。…そんなの今ではシンジラレナーイ。時代が良かったんですわ、つくづく。
ワタシのオカンは、少し離れた別の小学校に給食のパートとして勤めに行っており、そこがワタシの通う小学校と「姉妹校」の関係で給食メニューが共通で、家に帰ってきてからも「おやつ」として、昼の給食と同じメニューの(wソフト麺ミートソースを喰していたりしました。味付けは微妙に違っていましたけど。
そんな中、或る日男子の転校生がクラスにやって来ました。
父親の転勤により関東から転校してきた彼は、如何にもイイとこの坊ちゃん風で、○戸錠風な顔のキザな風体で、当時最新式のフラッシャー付きデラックス仕様のスポーツ自転車を乗り廻していました。
少年マンガ誌広告でそんな豪華な自転車を見て、自分もいつかは欲しいと思っていたのですが、ワタシの場合は、リアフェンダーには赤く丸いリフレクターのみ付いたよくあるタイプの自転車で、低学年の頃から乗り続けていて補助輪を取ったばかりのものでした。
その転校生君は、恵まれた家庭環境を自慢気にハナに掛けるようなところがあって、クラスメイト達からは少々顰蹙を買ったりもしていました。
そんな彼の家(今思えば社宅)へ遊びに行った時、玄関前に停まっていた、彼の父親が所有しているクルマに目を奪われました。それが、ギャランGTOでした。
目にも鮮やかなオレンジ色のカッコイイボディ。
黒く太いストライプがボディサイドを堂々と渡り、リアトランクで直角に跳ね上がる。
左右2ヶずつ、真っ赤で四角いテールランプが並んでいる。
リアガーニッシュには誇らしげに「MR」のエンブレムが。
当時ウチのクルマといえば、明○製菓払い下げの中古のサニー1200・4ドアバンで、フロントフェンダーがウグイス色、前後ドアがアイボリー、リアフェンダーが赤、といったチグハグでナンとも恥ずかしいような三色に分かれたボディカラーでした。
クラスの男子同士では、父親がどんなクルマに乗っているのか、話題になった事が幾度か有ったことと思います。そんな時も転校生君は自分ん家のギャランGTOを自慢気に語っちゃっておりました。「最高スピード200kmなんだぜ!」
ワタシとしては、ウチのサニーバンはとても自慢出来るようなクルマではなく、そんな場面ではいつも大変歯がゆい思いをしていました。
あの頃が、今言うところの『格差社会』のようなものを認識した原体験だったのかも知れません。
それでも非常に幸せだった1973年が過ぎ、翌1974年春。
学校ではクラス替えが行なわれ、それまで同じクラスだった親友たちや担任の先生とは別のクラスになってしまい、一転して今度は今一つ馴染めない新クラスメイトからは「短足、短足」とからかわれるような日が続きました。所変われば品変わるみたいな、あまり楽しくはない日々でした。只唯一救いだったのは、これまた東京から引っ越してきた女子転校生が地元札幌では全く見掛けないタイプの洗練された別嬪さんで、クラスのみならず学年ごとでウワサになるような美人の子で、同じ学級委員を務めたこともあってか、どういうわけかワタシはその子に好かれていたようなところがありました。
この時にワタシの人生において、たったの9歳で異性運を使い果たしてしまったのかも知れません…。
そんな頃、アパート暮らしだったウチが別の区に新築していた一軒家が6月にいよいよ完成して引越しする事になり、小学校を転校することになりました。
子どもにとって隣の区に移るのは、正に新天地での生活、まったくの別世界でした。
今度はワタシが転校生と相成ったわけですが、先の別嬪さんとも暫くは文通していたりしましたが、新しい土地で新しい友人も順調に出来て行き、何時の間にか音信不通になってしまいました。
新居に越してきて間もなく、客間の青々とした畳の井草の良い香りがする頃、
丁度札幌に初めて「○イエー」がオープンすることになり、オカンと2つ年上のオネンとワタシで早速買い物に出掛けました。
あの当時、各階売り場ではエンドレスで「○イエー」のテーマ曲が延々と掛かっていたのを忘れることは出来ません。あれだけシツコク聴かされては、いまだに思い出してしまいます、あのビブラートの歌声と共に…。
key=A♭
♪○イエー ○イエーィ イェイイェイイェイイェイイェイ
○イエー とっても イェイイェイイェイイェイイェイ
これがわたしの~ お買い物~~
○イエー ○イエーィ イェイイェイイェイイェイイェイ
○イエー とってーも イェイイェイイェイイェイイェイ
ショッパーズプラザ~ ○~~イ~~エー~~~~…♪
はじめはオカンに連れられて雑貨類を見て廻っていましたが、フロアを上がっていくと、模型売り場があるので、オネンと寄らせてもらいました。
…そこは今にして思えば信じられない光景ですが、今やすっかりお宝と化したバンダイ1/20クーペシリーズ各種が所狭しと山積みされていたんです。そういう時代だったんです。
それで、どういう風の吹き回しなのか、それまでプラモになど別段興味を持っていなかったオネンがいきなり、「これカッコイイから作ってみたい♪」とオカンに買ってもらったのが、ギャランGTO-MRでした。
ワタシはそのGTOの製作を手伝わせて貰えれば良いかな、と思い、自分用には特に何か買ってもらわずに帰宅したものの、GTOは殆どオネン1人でサクサクと完成させてしまいましたとさ。
初版に付属していたデカールは黒ではなく、白のストライプでした。
まあロクに塗装もせず組んだ上にストライプのデカールを貼ったものだから、完成後に少しずつ剥がれてきたけれども、オネンの作ったGTO完成品が毎日観たくて観たくて、自分の部屋に戻れと言われるまで何かとオネンの部屋に入り浸っていました。
それから数年経ち、やっとGTO完成品をオネンから譲ってもらいました。
1980年春の再販版。
コレの前に、初版イラストを流用した過渡期的再販パッケージと
レーシング仕様(タイヤはノーマルのみ付属・ワイドタイヤは別売り)の
パッケージが存在しています。

実車のギャランGTO。(トヨタ博物館所蔵)

永大製1/24。成型色は明るいオレンジ。

永大版は初版から3~4年経った頃、ムギ球付きヘッドライト点灯・ドア開閉のDX版が発売されました。
しかしながら、アポロモケイから日東科学に金型が移った1/24別製品のほうが、スケールモデルとしてはベストな出来と思います。永大版は僅かに武骨な印象を受けます。

バンダイ版1/20のGTOは現在の目で観ると、ボディのプロポーションのみならずインテリアもややオカシナ点が散見されます。そんな出来の割りにすっかり相場が上がってしまい、なかなか買い辛くなってしまいました。
期が熟したら、辛うじて手許にある再販版を色々と手を入れて組んでみたいです。
完成した暁には、地元にいるオネンに写真を見せてあげようと思っています。
実車は"Hip Up Coupe"のキャッチフレーズで1970年10月発表、DOHC・ツインカム125馬力サターンAIIIエンジン搭載、最高速度200km/h。
実車のMRにおいて、決めカラーはケニアオレンジが王道でしょうが、
バンダイ版初版の成型色は微妙に朱色掛かったものと、青色の2種類がありました。
ワイルド且つドラマチックな構図のボックスアートが印象的。初版当時定価\800-。


カタログの世界観をそのまま表現している箱絵に対して、
肝心のボディはリアクオーター辺りからの再現にスマートさが欠けていて
やや難があるように思えます。
それでも1/20クーペシリーズ中唯一、フューエルリッド開閉というギミックに果敢にトライした作りとなっています。

1973年、世間はオイルショックによる様々な騒動が起きていた頃、ワタシは小学三年生でした。当時の子どもたちにとってはそのようなオトナ的事情は特に判る程でもなく、今思い起こしても何かと楽しかった想い出ばかりの年でした。あの頃は一生に一度あるかどうかというぐらい、妙に『モテ期』で、クラスの女子からは毎日のように「sakachew君、今日アタシんちに遊びに来ない?」と頻繁に誘われていましたし。…そんなの今ではシンジラレナーイ。時代が良かったんですわ、つくづく。
ワタシのオカンは、少し離れた別の小学校に給食のパートとして勤めに行っており、そこがワタシの通う小学校と「姉妹校」の関係で給食メニューが共通で、家に帰ってきてからも「おやつ」として、昼の給食と同じメニューの(wソフト麺ミートソースを喰していたりしました。味付けは微妙に違っていましたけど。
そんな中、或る日男子の転校生がクラスにやって来ました。
父親の転勤により関東から転校してきた彼は、如何にもイイとこの坊ちゃん風で、○戸錠風な顔のキザな風体で、当時最新式のフラッシャー付きデラックス仕様のスポーツ自転車を乗り廻していました。
少年マンガ誌広告でそんな豪華な自転車を見て、自分もいつかは欲しいと思っていたのですが、ワタシの場合は、リアフェンダーには赤く丸いリフレクターのみ付いたよくあるタイプの自転車で、低学年の頃から乗り続けていて補助輪を取ったばかりのものでした。
その転校生君は、恵まれた家庭環境を自慢気にハナに掛けるようなところがあって、クラスメイト達からは少々顰蹙を買ったりもしていました。
そんな彼の家(今思えば社宅)へ遊びに行った時、玄関前に停まっていた、彼の父親が所有しているクルマに目を奪われました。それが、ギャランGTOでした。
目にも鮮やかなオレンジ色のカッコイイボディ。
黒く太いストライプがボディサイドを堂々と渡り、リアトランクで直角に跳ね上がる。
左右2ヶずつ、真っ赤で四角いテールランプが並んでいる。
リアガーニッシュには誇らしげに「MR」のエンブレムが。
当時ウチのクルマといえば、明○製菓払い下げの中古のサニー1200・4ドアバンで、フロントフェンダーがウグイス色、前後ドアがアイボリー、リアフェンダーが赤、といったチグハグでナンとも恥ずかしいような三色に分かれたボディカラーでした。
クラスの男子同士では、父親がどんなクルマに乗っているのか、話題になった事が幾度か有ったことと思います。そんな時も転校生君は自分ん家のギャランGTOを自慢気に語っちゃっておりました。「最高スピード200kmなんだぜ!」
ワタシとしては、ウチのサニーバンはとても自慢出来るようなクルマではなく、そんな場面ではいつも大変歯がゆい思いをしていました。
あの頃が、今言うところの『格差社会』のようなものを認識した原体験だったのかも知れません。
それでも非常に幸せだった1973年が過ぎ、翌1974年春。
学校ではクラス替えが行なわれ、それまで同じクラスだった親友たちや担任の先生とは別のクラスになってしまい、一転して今度は今一つ馴染めない新クラスメイトからは「短足、短足」とからかわれるような日が続きました。所変われば品変わるみたいな、あまり楽しくはない日々でした。只唯一救いだったのは、これまた東京から引っ越してきた女子転校生が地元札幌では全く見掛けないタイプの洗練された別嬪さんで、クラスのみならず学年ごとでウワサになるような美人の子で、同じ学級委員を務めたこともあってか、どういうわけかワタシはその子に好かれていたようなところがありました。
この時にワタシの人生において、たったの9歳で異性運を使い果たしてしまったのかも知れません…。
そんな頃、アパート暮らしだったウチが別の区に新築していた一軒家が6月にいよいよ完成して引越しする事になり、小学校を転校することになりました。
子どもにとって隣の区に移るのは、正に新天地での生活、まったくの別世界でした。
今度はワタシが転校生と相成ったわけですが、先の別嬪さんとも暫くは文通していたりしましたが、新しい土地で新しい友人も順調に出来て行き、何時の間にか音信不通になってしまいました。
新居に越してきて間もなく、客間の青々とした畳の井草の良い香りがする頃、
丁度札幌に初めて「○イエー」がオープンすることになり、オカンと2つ年上のオネンとワタシで早速買い物に出掛けました。
あの当時、各階売り場ではエンドレスで「○イエー」のテーマ曲が延々と掛かっていたのを忘れることは出来ません。あれだけシツコク聴かされては、いまだに思い出してしまいます、あのビブラートの歌声と共に…。
key=A♭
♪○イエー ○イエーィ イェイイェイイェイイェイイェイ
○イエー とっても イェイイェイイェイイェイイェイ
これがわたしの~ お買い物~~
○イエー ○イエーィ イェイイェイイェイイェイイェイ
○イエー とってーも イェイイェイイェイイェイイェイ
ショッパーズプラザ~ ○~~イ~~エー~~~~…♪
はじめはオカンに連れられて雑貨類を見て廻っていましたが、フロアを上がっていくと、模型売り場があるので、オネンと寄らせてもらいました。
…そこは今にして思えば信じられない光景ですが、今やすっかりお宝と化したバンダイ1/20クーペシリーズ各種が所狭しと山積みされていたんです。そういう時代だったんです。
それで、どういう風の吹き回しなのか、それまでプラモになど別段興味を持っていなかったオネンがいきなり、「これカッコイイから作ってみたい♪」とオカンに買ってもらったのが、ギャランGTO-MRでした。
ワタシはそのGTOの製作を手伝わせて貰えれば良いかな、と思い、自分用には特に何か買ってもらわずに帰宅したものの、GTOは殆どオネン1人でサクサクと完成させてしまいましたとさ。
初版に付属していたデカールは黒ではなく、白のストライプでした。
まあロクに塗装もせず組んだ上にストライプのデカールを貼ったものだから、完成後に少しずつ剥がれてきたけれども、オネンの作ったGTO完成品が毎日観たくて観たくて、自分の部屋に戻れと言われるまで何かとオネンの部屋に入り浸っていました。
それから数年経ち、やっとGTO完成品をオネンから譲ってもらいました。
1980年春の再販版。
コレの前に、初版イラストを流用した過渡期的再販パッケージと
レーシング仕様(タイヤはノーマルのみ付属・ワイドタイヤは別売り)の
パッケージが存在しています。

実車のギャランGTO。(トヨタ博物館所蔵)

永大製1/24。成型色は明るいオレンジ。

永大版は初版から3~4年経った頃、ムギ球付きヘッドライト点灯・ドア開閉のDX版が発売されました。
しかしながら、アポロモケイから日東科学に金型が移った1/24別製品のほうが、スケールモデルとしてはベストな出来と思います。永大版は僅かに武骨な印象を受けます。

バンダイ版1/20のGTOは現在の目で観ると、ボディのプロポーションのみならずインテリアもややオカシナ点が散見されます。そんな出来の割りにすっかり相場が上がってしまい、なかなか買い辛くなってしまいました。
期が熟したら、辛うじて手許にある再販版を色々と手を入れて組んでみたいです。
完成した暁には、地元にいるオネンに写真を見せてあげようと思っています。

いつもその時代を蘇らせる超絶的な巧みの技に感動を与えてもらっています。
あー、懐かしいGTO。
新車発表会の時にオヤジと一緒に三菱のディーラーに行きましたよ・・・。
カッコいいクーペスタイルに憧れていました。
今回もまた、素晴らしい作品に仕上がる事を期待しています。
それでは、ガンバッテ下さい。
この度は未熟な拙ブログへコメントを頂き、誠にありがとうございます。コメント承認制につき、御投稿掲載までお待たせ致しまして申し訳ございませんです。
本日は八王子いちょう祭りへ旧車取材に行ってきました。GTOも1台、年季の入ったカスタマイズ車が来ていました。昭和へタイムトリップした気分を堪能致しました。実車にまさる資料なし、というわけでして、これからも1台1台勉強させて頂くつもりで努力して参る所存でございます。今後とも御指導の程、宜しくお願い申し上げます。
ようこかわちゃんもギャランGTO好きです。免許取立ての時期に近所の修理工場に76年型のギャランGTOがありました。もうちょっとで買うところでしたが、下周りのさびがひどくてやめました。
さて、永大のギャランは確か模型化初KITで、このパッケージを見ると当時通った模型店の棚が思い出されます。セリカクーペともども永大は初KIT化に専念してました。シャーシも時期によっていたシャーシのものとカセット式のシャーシがありました。
いま位お金があの当時あれば、たぶん買いまくってしまうかもしれません。これからもよろしくお願いします。
永大は良いメーカーでしたよね。製品から「夢」「情熱」が感じ取れました。ダルマセリカも1/24においてはハセガワ製が出るまではベストキットだったと思いますし、これまた当時の想い出があります。
タイムマシンに乗ってあの頃の模型店/文房具店をハシゴしたいですよね。尤も、お札はワザワザ聖徳太子さんや伊藤博文さんやや岩倉さんにチェンジしておく必要がありますが。ついでに昔の自分やあの頃のアノ子にも会ってみたいですわ。
不定期更新の拙ブログですが、今後とも御笑覧御指導の程、宜しくお願い申し上げます。